ふぐっとぽん

ファイザーのワクチン接種をした後、ほぼ寝て、おしっこに起きて、水(麦茶)を飲んで、寝るといふのを三十二時間ほど繰り返す。

 なんとかなる。

 『乱』でみなもと太郎追悼特集をやってゐる。まぁ衒ひのない、手塚治虫大先生(と真向かひに座って一時間何分ほどぼーっと見てた)がどうたらと、貸本の配達システムの歴史とその意義に、それの終焉に立ち会った話と、平田弘史大先生との対談と、さいとう・たかを大先生へのいろいろ(対談とさいとうたかを論)があった。

 奇しくも発売されたちょっと後、さいとうたかを大先生がお亡くなりになってゐたのが判明する。うわぁ。まぁ大往生であらう。

 1970年代、日本人が秋津島の人である自分に自信を持てるやうになった頃、主にコーカソイドの人と文字通り肩を並べ、対等にビジネスを交はし、時々パツキンのチャンネーをベッドでウフフ💛をする、と言ふ妄想が若い衆の間で共有された時に、出たヒーローがデューク東郷即ち、コーカソイドに信頼され、かつ握手の習慣は持たないのをアメリカンの相手へも納得させ、仕事はきっちりし、時々おねいさんをこます多分日系のスナイパーと言ふのが関川夏央説であったはずである。1970年代は、デューク東郷は普通の人気作として、ちゃんとした支持を受けたのである。関川説では、1980年代から、ゴルゴ13が人気にアレがナニしてきたと分析した筈である。

 この日本人だかなんだかなキャラクターは、後進国の元気な所で支持され続けたらしい。

 作劇上、ありえんやうなシチュにツッコミをする呉智英の「ゴルゴさーちーん」評がデフォだと思ったら、みなもと太郎先生によれば、さいとう作品は出た当初から不良の悪い作品であり、周囲のかなりな所から作品作風スタンスについて蛇蝎の如く嫌はれてたらしい。呉智英夫子の儒教~封建主義関係と我はいかにしてそれを取りしかに関し、デューク東郷がM16なぞといふ異様な鉄砲を欠点の知悉とそれを自分でフォローできる者としていかに使ってるか、さらに、「がっちょんがっちょんて組み立てるとちゃんとできる」やう徹底的な計算がされつくしたパラドクサルな技術に基づく名銃カラシニコフがそのワンマンアーミーに対抗し、あぁっ と言ふのを誉める上に 宇宙で和弓()、をやるとかのレヴェルで無かったらしい。

 大童澄瞳 『映像研には手を出すな!』桜田は、浅草氏のそれにダメを出しまくり、浅草氏は、前に兎吸ってるんだよな。

 施川ユウキバーナード嬢曰く。』川の流れのやうな読書。

あほすたさん『マショウのあほすたさん』グラビアアイドル。