すぽぽよー

 まえのやつ

濃い改訂版

 

 ひたすら雑草を成敗する。カボチャがどこかに生えてゐるので収穫する。
 新井祥『性別が、ない!』新婚さんがなんかする。
 早良朋『へんなものみっけ!』軽石と、大和堆と、謎の大陸。
 蛇蔵天地創造デザイン部』ウィルスと、通路の不調
 西原理恵子『ダーリンは76歳』鴨志田さんはまぁいいとして、えー。鴨志田さんでなくてかっちゃん氏はお医者。
 ちばてつやひねもすのたり日記』ぢぢいにフォーカスしてみた。
 呉智英先生が、「読まんでもいい」と言ってゐたK・セリグマン『魔法』の文庫版が好評発売中である。なんか改訂版の方らしいのはいいとして、ノストラダムスのアレが『諸世紀』である。

 『ホビット』大炎上版 ブックオフに売ってたけどいいや。その、「サーラバイバイ」「ナンタルチア」といふ言葉のセンスの他に、剣と魔法物の他の重鎮、REハワードのコナンが振り回すブロードソードは、かつて「だんびら」とされてゐたが次の人の訳ではそこのブロードソードと日本刀の構造上のアレを指摘した上で広刃の剣とされるとか、さう言ふのがあるのだがそれがなんかない。しかも邦訳は『ホビット』つうたら瀬田貞二版しかない筈であるが、あとがきでは邦訳情報があるだけで瀬田先生のこの辺の訳は取りましたがこの辺はこれこれこういうわけで がない。しかも、後の良い子向けによれば、ゴラムのいふ言語はSH音が大量に入ってる上「My precious」はかなり微妙なニュアンスを持つとある。「僕チン」は瀬田貞二訳の「いとしいしと」をたたき台にした可能性が低い。

 「あの世界のエルフって黒髪がデフォなんかー!!金髪は「そういうのもいる」んか!!」
 と言ふのが衝撃であった。あと古典に馴染んだ御大が、参照する資料には、北欧からUK諸国にかけて、「小人とクモを同一の言語で表現」といふのがあるさうである。秋津島の「ツチグモ」は矮人であったが、あっちのヒキビトもクモと称されてた。Spiderに咬まれて以来トラウマを覚え、藝術の魔性でいい感じでビビる息子Bへ恐怖のクモを話して聞かせた御大は、善なる正義の側のツチグモ即ちDvergをでっちあげてたさうである。ふにゃー。
 カムライグ(ウェールズの言葉)でゴブリンはコブラン(Coblyn)とか言ふんだけども、さう言ふ資料は長野の辺境でもあるんだけども、ジョージ・マクドナルドの「ゴブリンの略称コブ」にあの、はい。

 他、御大は敬虔なクリスチャンなので「クリスチャニティは敬してこれを遠ざく」スタンスで書いてゐるのだが、CSルイスが躊躇なく作品へそれを突っ込むのになんとかの他に、G・マクドナルドの諸作品の説教にイエスの御言を聴け!があるので、御大は「説教臭いのが嫌」とする場合さう言ふのがあったはずで、えー。『北風のうしろの国』もクリスチャニティみが強いし、大先生がプレゼンの際に出す『鏡の国のアリス』の作者ルイス・キャロルは敬虔なクリスチャンでかつ、「パッションフラワーを出そうと思ったけど名前がキリスト教っぽいので断念した」とかのスタンスである。この辺に関する言及がー。

 リン・カーターのアレは映画によってまた出た筈なのだが、てふか前からあったやうな気がするのだが、「(荒俣宏訳で某)」とかの表現がない。
 そして改訂版良い子向けの文庫上下巻が刊行後、でた『ベーオウルフ』での岡本千晶訳で、「Sellic spell」はまんま「セリーチ・スペル」はい。

 Oakが「樫」ジャパニーズオークで統一されてゐる。アレは楢。ミドルアースとかにイモ(食用の地下茎をインドヨーロッパ語でアルムと言ふあるいは言ったのだがTaterの方ださうで)は生えてても樫は生えてない。

 『Goblin feet』(山本史郎訳「ゴブリンの足」)が「嫁ゲットのために書いた」「二十世紀初頭の妖精像(18世紀からgdgdになった後の、御大が唾棄する)」で描かれるといふ指摘、これにあったと思ったんだけど出てない。確かさう言ふわけで、このぽえむは御大の黒歴史で、後に成功する、御大の聖なる中学二年生の崇高なる設定における世界像からかなり大幅に逸脱するこれは、ぎゃあぎゃあこきながら穴へ入れる機会を結局失ったまま、これにも所収である。

 サガの大体が他のでも採用される訳で表記されてゐるのだが、ヴェルスパーはヴェルスパーで『巫女の予言』でない。