すめらふ

ダイコンへ土を寄せる。

 未来少年コナン まぁ大団円。 モンスリーさんの晴れ姿を結局みはぐった

 ちくま文庫 マンガアンソロジー 『異形の未来』

水木しげる『サイボーグ』の方、諸星大二郎『ぼくとフリオと校庭で』他。

 いしかわじゅん『至福の街』  ここでは、ある周期に接触する何かにより、人々は至福の境地に入りはする。まんが家菱川の周りも、至福になる人が出まくる。

 「元彼の眼前で次の彼ぴと交接しても倫理上罪悪感を覚えない女性」とか、ソレを見て絶望する主人公、そのある種の人々のスティグマとしてのそこと、都会色ではなく、全く別の倫理観に基づく物である上に、至福の者である彼らの振舞ひを、與へにくる天使、抵抗する主役が、何か言ふ皮肉、辺りは大変良い。

 あと、意図的に(多分)背景が抽象的で、後にも出る、なんか寒い、ニヒリスムを出してる筈。それがこっちではなかなかよく機能してゐる。

 夏目房之介編 『侠気と肉体の時代』

宮谷一彦大先生の作品は入ってるんだよな。

 松本侑子訳  ルーシーモードモンゴメリ 赤毛のアン

 赤毛が「イスカリオテのユダ」「カイン」の髪の色である点、クロノロジックにあれだが、ざっくりアン・シャーリーのゐた時代のカナダでのフランス人蔑視、は書かれる。

 Geraldine はサリー伯の作品に出る人物で、エリザベス・フィッツジェラルドが関係者にゐると言ふ点を根拠に挙げる。ふぃー。

メイこっち説がいい。

 Wikipediaによれば「フィッツ」は、「~の末孫」を指す語ださうである。マクドナルド、マッキントッシュのマックとか、アンデルセン ピーターソンのソンみたいな、さういふ奴であるか。と言ふことはジェラルディンさんとフィッツジェラルドさんの名前さんは同系さんである。でこの名はアイリッシュである。

 アンの「中二しぐさ」が、「有り余った自我を然るべく溶かす」健全な作業なのか、作中何回も出る、赤毛忌避の延長としての自虐しぐさなのか、よくわからいので読むべきだとは思ふのだが食指が動かない。アンのママの名前がバーサってのは、魔女宅の、の次に関係者の方はインパクトあるんだけどな。ニシンのパイを作った婆ちゃんの所のメイドの名と言ってもわかる人が、

   あー、ファンで

「私は電気は嫌いです」

 と言ふセリフが出て来る人が―(´・ω・`)

 そして、某指輪は敬虔なクリスチャンがその辺を敬して遠ざくスタンスで書いてるとする作者のいろいろを引きながらでも正義の側の倫理観にクリスチャニティみがあると、ファンの大半と共に指摘してゐる宮崎駿御大は、マシュー(はマタイの英語読みなの!さうよねマシュウ。マシュウ!)・カスバートとマリラ(は海系の呼称とするとケルトみがあるが、通常の読者はマリアの方を連想するとか)、レイチェル(ヤコブの嫁ラケルの英語読み)、ナザレの人の子をひった方のマリアのママンの名前が聖アンナ、といふキリスト教的にありがたい名前が横溢し、ギリシャ神話のダイアナが「異教的」と言はれ、さう言ふのへケルティックなアレが出るといふ構造のこれについて、マシュウはユーモアの人で、かういふのはFunnyの方で面白いと言ってゐるとか、アニメ版『赤毛のアン』OPで出るああいふタイプの馬車は、後のフラップターとかメーヴェなどの「体の延長としての翼」を説明する際出て来るとか、なんか肯定的な部分がある。

 多分定期的に ラテン語Tribas(女の人が好きな女性)の語源はギリシャ語のトリベイン(「ヾ(・ω・*)なでなで」)といふウィクショナリーの表記を見てうぉおってなる  トリバス人名説を書くことも可能なんだよな。(南方熊楠『同性の愛に耽る女性』でトリバス起源説でさういふあほな説を引いて批判し、Wiki説が正しいと言ってゐる) 英語版しかないから書いた場合「外国までの恥さらしじゃ」(『十二支考 兎に関する民俗と何とか』)になるなぁ、うーん。  

tribas - Wiktionary