ふほほ

雨が何となく降る。

 あぁ、施川ユウキバーナード嬢曰く。』が。
 オンラインお茶会。幼年期が。果てしなく黒い本が、クリスティが。

 みなもと太郎風雲児たち』食べれる火薬と、テロとリテレートの深謀遠慮。

 原田実『捏造の日本史』によれば、群馬県西部~埼玉県秩父地方にかけて、「多胡羊太夫」を言ふをっさんがゐて、八世紀ころになんかしたらしい、でなんかで反抗して死んだらしい、と言ふお話がまことしやかに傳へられてゐるさうである。

 川瀬勇『日本民族秘史』によれば、「寒羊」と呼ばれるイスラエリアン羊を飼ふ人が当時の群馬県とかにゐて、さう言ふ人が羊太夫ださうである。

 その羊太夫さん実在説の根拠として、上野三碑の一つ多胡碑(AD711年)の中に、「給羊」の文字があることから、これを「羊にたまふ」と読んで、羊太夫実在説がデフォルトとなり、羊さんは新羅系渡来人(尾崎喜佐雄)、本家藤原不比等さん(関口昌春)、ネストリウス派キリスト教の伝道師な遣唐使(甲子夜話)、などの諸説が出まくったと言ふ。
でも本文の箇所は、群馬県立女子大教授の熊倉浩靖説で、給羊は「羊をたまふ」の方であらうとする。

それでめでたしめでたしではなく、「当時の群馬県で牧羊が行われてた証拠がない問題」が立ちはだかり、何の羊が中央へ給はれたのかが全く解んないのである。

 吉野裕子説では、亥に生まれ卯に盛んになり未に死ぬ木属性(風が属する)であり、羊太夫伝承(の方で8束小脛といふ従業員が出てくるが、彼はa羽が生えてるb名前に8が入っとる、といふ1火系の土属性で2木属性とする吉野説に都合のいいキャラ)を上げないが、『神道集』の方のそれは、丈使部(はせつかべ)と呼ばれる、足が命の伝令的な部署にとってのアイコンとしてでっち上げられたのではとする。丈部真羊と言ふ人名も上げる。そんで8束小脛は上げないが、風の3郎伝承は上げる。こっちも多胡碑のそれを「羊にたまふ」と解釈してゐるが、風なんだから、風使ひとして羊太夫を給はってもいいんぢゃなからうか。

「 エルシーマーリー 良い身分 豚に餌などやりませぬ 」

 といふエルシーマーリーさんのナーサリー・ライムを調べてゐたら、WIKIに記事があった。https://en.wikipedia.org/wiki/Elsie_Marley