うぐにゅー

中川淳一郎 ネットのバカ 北欧出羽守様の沈黙

 耕地には、一面のぺんぺん草が生えてゐる。照葉樹林文化圏の端っこの一類たるこちとらは、芸るべき雑草である。ふん。(ぺんぺん草のロゼッタは食用とかさう言ふ細かいことは気にしない)

 天地創造デザイン部 メガネザルをたたき台に、馬キチガイのをっさんが気張る。

 聖☆おにいさん いらすと屋は天主ヤハウェの祝福があったのであった。

 近藤よう子先生が、『高丘親王航海記』(澁澤龍彦先生の最晩年の小説)をマンガ化してゐる。春丸さんの関係とか、アリクイ はまだ出てねぇか 負極先生、もまだか、眞如親王殿下の、アレについて薬子と、他の女性従業員の人との差別が、書かれてた。うむっ。こっちで先生の『五色の舟』での衆道の契りがトラウマの如く張り付いてて、あうあう。

 個じン的には、最きン『魔物語 愛しのベティ』とか、『マッド・ブル35』とかを読ンでゐるのである。『魔物語』は、原作者氏の家庭に関するいろいろが出てゐるといふ評価はできるはずである。あとここに出てくる(旦那が魔女の世界へ行ッて、婚姻を振り回して魔女を屈服させるのである)異世界転移でチートは、かう言ふのではかっこいいのである。

小池一夫先生は前世紀の人には違ひないのだが、多分私が、21世紀にアニメーターとか小説家とかなんかでデビュウした際、お話の最初は、いろいろあって家を出ざるを得ないけど、ハイハイできる程度の能力を持った息子をどうするよ問題に直面したパパが、わが子へ玩具と剣を選ばせるシチュを、絶対やると思ふ。多分 さうやってもこっちへは支那の何とかいふ映画とか『ロードトゥパーディション』のパクリとは言はれン筈だし、「これはギリシャ神話から」(アキレスの関係で選択をするのがあった筈)とかいふと詳細かつ論理的なツッコミが来るはずである。

 小池先生の偉大な点として、(撥音便を「ン」で表現するのを高尚な表現だと思ってどうのと言ふ呉智英説は無視する)「ン」は根性で流行らせると言ふのがあるとかの他、高橋留美子先生の『境界のRINNE』では「ろくどうりんね」と、六道を「ろくどう」発音させてるのもある筈。漢数字は、仏教用語である呉音がデフォなのである。仏教的な二河白道ぢゃんねぇや二川白道(にせンびゃくどう)とか、他が出るところで「りくどう(漢音+漢音)」は異様であるがツッコミはないのである。うむうむ。先生は多分長生きをした方である。五十歳代で死ぬまンガ家の先生方がえらいこと多くて困るのである。