ふろふろー

 呉智英『リアルの馬鹿』令和に関するいろいろ。「年令の令」と言ふ報道があったさうである。年齢は「齢」の字だと思ひます。「塵芥で「ちあ」」と言ふ人名案は、なんとなく。ちあちゃんはいいと思ふのだが、字面が悪すぎるが、なんか。

 モンキー・パンチ御大が亡くなった。
 ツイッターを見る限り、ちゃんと死を惜しむ声が大半であった。
 さう言へば、『アクション』で『ルパン三世』に関してアレがいかに当たる作品であるかを、『もしも野球部のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』の作者岩崎夏海先生が分析してゐた。
 確かに個人的に『ルパン三世』とかはよいし、他、「銃vs刀剣類」と言ふかっこいいナニはモンキー・パンチ作品がまづ浮かぶし、「サイレントマンガ(文字による表現が一切ない)」と言ったらとり・みき『遠くへ行きたい』や田中政志『ゴン』よりも御大の『一宿一飯』が思ひ浮かぶのだが、最近の御大はアレなのである。
他、かなり早くからコンピューターを使ってゐたとか、御大の描くキャラクターがしっかりしてゐるとか、いろいろ。


どっかの雑誌で『刑事コロンボ』特集をやってゐた。三谷幸喜御大の『警部補古畑任三郎』に関するコロンボへのオマージュとかはよいのだが、「ディエゴ(環地中海系の皆さんへの蔑称)がその特性を使ってセレブリティをやっつける」と言ふフォーマットに関する言及が一切なかった。いいけど宮崎駿御大も『紅の豚』(原作マンガも含め)、『風立ちぬ』で「めちゃくちゃ多い」イタリア人一族を書いてゐる。刑事コロンボが、支那人コミュニティの近所で育ってゐるとか、親戚筋をひたすら上げまくってゐるとか、どうでもいい葉巻、よれよれのコート、ぼろっちいプジョー、と非差別的存在である造形がいろいろ、コロンボ関係をあまり見てない私でも指摘が。その杉下右京警部殿の、本名がウンケイホで在日N世で、でと言ふのがちゃんとしたオマージュだと思ひます。(『相棒』では東南アジアの国サルウィンは一貫して「可哀想なだけの国」であり、大昔あすこから高僧が来日してあのお寺の開祖をいろいろしたとか、シトギの田舎とかさう言ふのが一切ない)

 鬼灯の冷徹 アメノウズメと春一がイチャイチャ。包丁でのスケートって、アレに、乗るまでが あの。

 上野千鶴子先生が、東大でなんか言ってたさうであるが、多分、上野先生の界隈では「アイデンティティフリー」とか言ふ言葉が出てゐるが、それによって、いやぁな「女性の開放」は行はれてゐるが、東大で上の先生が仰ってた「たかが東大出た程度」を自慢できない東大卒の女性は、上野先生の所属してるナニは男性への自信を持たせてるとは思ふのだが、多分どう言ふわけか、フェミニスムと言へど女性の自信をそぎ落としかねないらしい。

 『新九郎 奔る!』 ううーむ。

 スカシカシパン通信 ニホントカゲ 食用 である点にしょこたん喰ひ付く。