んぼぉおお

 何故か三石琴乃御大と一緒に映画を見ることになると言ふ奇怪な夢を見た。いろいろは三石様がやってくれた。

 さらに、映画館まで入ったのだが、その後の内容がわからない。その後なぜ三石御大と行くことになったかについて、ツイッターで呟く際「ああ、ドラえもんだから」と納得したのだが、映画を見た記憶がないので、具体的にどのやうなドラえもん物なのかが全く分からない。

 メドベージェワ様のセーラームーンなぞはあまり見てゐないのだが。ちょっと前に確かにおるちゅばんエビちゅのDVDがブックオフで売ってゐるのを見てゐるのだが、買って視聴してないし。

 ずくだせテレビなぞを見てしまふ。

 「飯田線で、人より遅い電車が走っている」とかの特集があった。そんで飯田線の特に下山村駅から伊那上郷間が大きく曲がってゐてどうのかうのなので、伊那上郷から走るとどうの、と言ふのをやってゐた。別にいいのだが、ただ土人の証言として「究極超人あ~る」といふ「マンガ」がどうのとか言はれてはゐた。でもレギュラーの人はスタッフとともに、下山村駅から伊那上郷ではなく、伊那上郷からGO。電車の発車とともに出発するも、近所に美味しさうなパン屋さんとか、ノスタルジックな店とかといふおぞましいものがあるので足止め、その他いろいろあって、下山村駅へ着いた頃には電車は行った後だった、とか何とか(確かにアクシデントなきゃ追ひ付ける)。

 「あ~る」がどうたらと言はれはするが、「アニメ版」といふ具体的なものは出ず、マンガのみ(の表紙だけ)が紹介され、つまり

「このアニメ版で影響を受けた人々が、各地から集まって、田切駅から伊那市駅まで自転車で走り」

 とかは一切無視された。はい。

わんこ関係

 志村真幸『日本犬の誕生』

 南方熊楠平岩米吉のナニを介して日本犬の誕生と、明治期にまだ洋犬が便利に使はれてた件と、ジャッカル=野干説とかと、いろいろ。

 

 大月猛寛「もの書きがTVに出るということ」

 てふか、江戸時代とかソレのちょっと前あたりから、唐犬がばこばこ入りまくってゐて、いはゆる和犬がまぁゐなくなってゐる上、さういふわけでナショナリスムの勃興によりさういふのを作らなければならなくなった、と言ふのを調査する。上の本にはこれに関する文章が、ぴゃっと見る限りは無かった。

えにゅぽー

 ウコギ(長野の土人は「おこぎ」と発音する)とその他常緑樹の払った枝を処分する。

 ちょっと行って、ダイエー系列の店で、バゲットの中にジャムが塗られてゐるものを、コーラと一緒に買って喰ふのがマイフェイヴァリットである。

 呉智英「リアルのバカ」極左封建主義者呉智英御大が、産経新聞のオカルトを批判。歴史を書く習慣がないので、多分対象化されてきちんとした歴史教科書をかけると言ふ奇怪な構造を持つフジサンケイグループの、産経新聞がいかにオカルト、トンデモ本系に親和性があるかを、少なくとも1991年にはそんな記事があったと指摘。へー。で呉智英夫子は左翼であると。正論でなんか(朝日新聞のシナ等の「別にいいんだけどなんか言われる」タームの対策を褒める)書いてる上に、正論の死後のなんとか特集をこっちで批判する。俺しらーん。いいけど産経グループは「呉智英氏に文章を依頼」の他に、「トンデモ本関係の排除」もした方がいいと思ふんだけど無理なんだらうなぁ。

 駅前にわんこがゐる。良く吼えるが、近づいてみると耳を伏せ尻尾を振る。とりあへづもふもふする。

もめーん

 気合で名古屋へ行く。

 カップルがちらほら、在日、ナントカ人がレジをするコンビニがあり、河村たかしさんの選挙カーとすれ違ふ。

 ジュンク堂谷口ジローだの手塚治虫だのの特集コーナーがある他に、あの、島本和彦コーナーがある。をををっ。

 新井素子先生のナニがあった。復刻したんか。

じゃおてー

ブックオフへ行く。閉店して解体中であった。 けっ。

 白竜 政治家さんが暗躍する。日本ナントカ会議ですか。

Remixz しうまい特集。山田五郎中川翔子両者、焼売について熱く語る。

 スカシカシパン通信は、タコVSカニ の撮影をする撮影スタッフの前に、モントレー湾でダイヴァーと仲良くしてゐるウィスカース(アザラシ)が!

 春なので、タンポポが咲きまくってゐる

買ったので

 とりあへずアピタで高田かや「カルト村で生まれました。」と「さよなら、カルト村。」を買ふ。いいけど大川ぶくぶ先生の本が売ってる。

 いしかわじゅん先生がガチで「良い編集者つけろ」とか何とか言ってゐる。育てる気満々なのだが、高田先生のところにちゃんと良いマンガ家になれるやうな道が開けるかは不明。

 別に、著者の凶悪なクソガキ時代をさらけ出すほのぼのカルト村(ヤマギシズムらしいけど)のいろいろを、衒ふでなく書いた作品なのだが、

 なんかつらい。

 どこがどうと言ふわけではないのだが、絵もまぁかわいいし、記号性の高い表現が、グサッと来るわけでもないのだが、読むのがきつい。

 カヴァー取って村の全体図を見るとかもする。

 世話係は、その辺のナニでも凶悪であったと書かれてゐる(少なくとも子への愛情がないらしい)が、じかに直接彼らから虐待を受けた(教育の筈であるが、マンガを見る限り「多分いい子なのでこの辺は殴っとかないと」的な感じがない)作者が、飯に拘り外部と接触し、成長し農業をやり、村の仕組みに疑問を持ち、かつ村を否定するでもなく、そこそこ楽しみつつ、村を出る。と言ふのは、読みやすいのだが、うーん。

 大月隆寛先生が「1971年頃から“平成”」説を唱へてゐたが、「まんが日本昔ばなし」のみが見られる環境で、2016年当時30歳代のおねいさんが、平成と言ふと、謎の違和感がある。勿論カルト村では、思ひっきり昭和(しかも昭和初期のやうな、虱除けのためDDTまで振りかけられてゐる)な生活をしてゐると描かれるわけなのだが。