あうあう

「道徳の教科書でパン屋が和菓子屋になった問題」について何か言はうとしたけど問題に迫れん。

 

「中国表記」はいいか。

 ざっと見、「欧州のおばさんは屠畜についてものすごく熱く語る」がない。(多分私が見忘れてるだけだから大丈夫の筈)

 

 あーうー、まづ、小麦粉を水で練ってどうの、の DOUGH文化と言ふのが、傳播したりしなかったり、独自に発生したりする。

 DOUGH文化の最高峰aは、皮パン、bがナンである。さういふわけで宮崎駿シュナの旅」では、チベットをモデルにしながら、ツァンパと呼ばれる麦料理を「大麦傳播以前」と言ふのを言訳に、てふか、麦をどっかで貰ってくる文化圏でも、ナンを喰ってゐる。

 ピンとか包子と呼ばれるDOUGH文化があるが、これはあまり発達してゐない段階のもの。

 そんで以て、餅(ピン なので麦マテリアルの料理を指す語だ)文化圏の端っこの隅っこにある秋津島で、饂飩とかほうとうとか饅頭とかを作って、あー、いはゆるモチは「シトギから進化したもの」と言ふのが中尾佐助説、何百年かした時に皮パンと接触する。その際、これを「DOUGHの一環に過ぎない」と言切ったおバカたれがゐた。

  兵糧説がなんとなくどっか行ってゐる。「ぱさぱさして、水がなければとても呑み込めない」といふ日本人へ、喰うはせるためのモチベーションがあったらしい。高島秋帆先生も江川太郎左衛門英龍も軍事関係の人だったのだがー、忘れてゐる。

 そのピン文化において、中に餡(ドライフルーツとか豆のナニ等)を入れるといふ独自の文化がある。

 それを適用するといふグレイトな大馬鹿野郎を行ったのが、我らが木村屋である。

和菓子屋さんを出すとかの前に、パンをいかに輸入し受容したかし得たかを考へるのが教科書屋さんの仕事だと思ふのだが。

 近代イデオロギーは自信を蔑ろにはするが、削るとは言ってない筈であるが、道徳とかを教科書に出来る教科として見ると、自身の出るやうなところをそぎ落としてしまふ、多分手癖が出ると言ふのは面白いが、面白がってちゃいかんのである。

 夏目房之介の講座。

 資料にならんし、和(あんパン)洋(クリームパンとか)混(カレーパン)迷(米国文化のしんにゅうによるのでハンバーガー)とかはしょーもなくて大好きだけど、中村屋の行ふ、クリームを「入れる」といふ発想は東アジア特有のもの。ジャムやクリームは洋物であるには違ひないが。

 餡パン 秋津島の人がパンの受容に当たり作ったもの

 クリームパン 洋風文化の浸透により餡をハイカラなものにしたもの

 カレーパン アジア開放の機運により餡がアジアのインド系になる

 ハンバーガー 敗戦後 アメリカのしんにょうにより出る。

 と分析。

えーそゅー

ツイッターで、猫提督さんとやらが、クマと遭遇した際に「スプレー」でひるませた後、牛刀とやらで前足をぶった切った、とか言ってゐた。

 その後、いろいろ言はれてゐる。

 おもに否定的な意見である。いはく、「銃砲等不法所持」いはく「熊はそんなに刀で斬れるような腕ではない」等等。

 ちょっと前、パヨクの方に当たるナントカほなみさんが、

「手前の体のすべての穴に五寸釘ぶち込むぞ」

 とか言ってゐた。秋津島の人の身振りとしてはこっちの方が妥当である。

 多分、傘かなんかで、熊さんの口へぶちこんだとか言ったら、シャレにならんやうなことになってゐたと思ふ。

 左右に関するナニがアレだけどまぁいいや。

なんだかあの

www.tokyo-np.co.jp

 

 あーなんと言ふか。書いてる人はアウシュビッツだかビルケナウだかで現役のホロコーストをしながら外国人の「髪の毛剃るんすか」といふ指摘に恐縮してゐるやうなものだ、といふ自覚が全くない。

 常用漢字が、白川静説でホロコーストと言ふかショアーに匹敵する東アジア文明の冒涜であり、それを告発する本を英訳したとかは一切かかれない。もちろん、

「ドイツの独の字は、もともと獨と書かれていたんです。今の字は獣偏に虫ですが、これではドクと読めませんし、何より白川さんによればこの「虫」は男性器を表すそうです。こんな恥ずかしい改編で表されるのは勘弁してほしい」

 とかは一切いかない。

 英訳は「英語圏で白川文字学がードンドンパフパフ」なのだが、これはなんつうか。

 表音表記による使用へ意味付けをすると言ふのも何と言ふか。

 

でべー

米を精米するの忘れてゐる。あわわわわわ。

 べつに 我が家の近所にハクビシンがもふもふしてたり、マカカ系のお猿がもふもふしてたり、小鷺がゐたり(表情筋ない割に彼らは魚を捉へると実にいい顔をする)するのはさすがに驚かないが、東京のバスタとやらで、…鶺鴒と思はれる鳥を見た。

 てふか親戚の人がナントカ展に絵を出品したので家族で見に行く。いろいろあってそのおっさん宅へ行く。孫娘Aがソフィア姫の何とかをかけ、おドレスを著てじぃじの部屋で暴れてゐる。

 展覧会のこっちで、外国人の関係のガキが、コーカソイドの人に引率されて大量に来てゐた。

 観覧後、こっちで飯を喰ひ、トイレに行って帰り、お姉ちゃん(多分一桁歳)が床に寝っ転がって抵抗してゐたので、母親へ引き渡す。その後、彼女か別の人かわからないのだが号泣する声が響く。謎の罪悪感を覚える。

 ブルボン小林さんの「マンガホニャララ」によれば、しげの秀一「セーラーエース」が、謎の最終回ださうである。

 

 REMIXZ スカシカシパンは久保田信大先生の「世界の動物40問」とやらのCD。冒頭しょこたんがウォーキングデッドにおけるスカシカシパンの使はれ方についていろいろこく。

あーその

 アレグザンダー・ケイの本。

 のアニメ化のノベライズの筈なのだが、アレグザンダー・ケイと誠実に書いてあるのでちょっと違和感がある。なほ、原作からアニメ版では「2008年に磁力戦争」があったんだが、2048年に変更されてゐる。

 

 浅羽通明説で、世界をでっちあげる根性がある程度凄まじいと、多分西欧の「人名を付けるタイトルが普通」文化圏ではタイトルが消え(the incredible tide)、日本ではタイトルが人名になる(未来少年コナン)といふ作者の熱い魂は受け継がれるナニがあるのだが、あー。

 

 さらに、『映像研には手を出すな!』とやらでは、作中のキャラクターが、アニメ、未来少年の方のコナンに感動し、アニメの制作を志す。

 てふか作中で宣伝かー。いいけどうーん。

 森薫大先生が、『魔女の宅急便』みて、なにがしかの感動を覚え、あの見てきたやうな英国のメイドの漫画を描くに至ったとかがあるので、かう言ふのは説得力があるらしい。ふーん。

 

ぱのふてきー

北朝鮮情勢が緊迫してゐる。

 アオイホノオ 矢野健太郎先生が、妥協したやうな『ネコじゃないモン!』とやらを掲載。焔燃が紅涙を絞る。

 あー。

 『映像研には手を出すな!』を入手。リアル読者モ(で作りたいモチベーションと技術とがムルムルしてゐる)と、策士のおねいさんと、クリエイティヴなバカ女の三人が何とかする。うむっ。

 

 ペギー葉山御大がなくなったさうである。雑誌などのメディアでまともな道徳を語ってゐたといふ印象があっただけに御大の死はいたたまれない。合掌。

便乗してた

 

 諸星大二郎 私家版鳥類図譜 私家版魚類図譜

 

 発行当時シン・ゴジラの監督の庵野秀明御大のなんぞが帯に書いてあった。

 バードボイルドといふシャレだったのか。(水飲み鳥が好き)